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Netflix映画『私というパズル』あらすじ、感想。重厚なヒューマンドラマ。【りんごの意味とラストの解釈。】ネタバレあり。

Netflixで1月7日から配信された『私というパズル』
を観ました。
壮絶な女性の苦しみと葛藤を描いたヒューマンドラマでした。
重いし暗い内容ですが、本当に見応えがあって、こういうの好きです。
とりあえず自宅出産はやめよう…。

評価点80点  
 

『わたしというパズル』作品情報

監督:コーネル・ムンドルッツォ

キャスト:バネッサ・カービー、シャイア・ラブーフ、エレン・バースティン、ジミー・フェイルズ

ベネチア国際映画祭でコンペティション部門に出品され、主演のバネッサ・カービーがポルピ杯(最優秀女優賞)を受賞した作品です。

バネッサ・カービーがとにかく圧巻の演技で、お産シーンの壮絶さや、ただ悲しいだけでなく心の虚無感に耐えるような表情が素晴らしかったです。

『私というパズル』予告編

『私というパズル』あらすじ

自宅での自然な出産を決めたマーサ(バネッサ・カービー)は、不安を紛らわせようとジョークを言う夫のショーンと自宅にいたところ、お産の予定が早まってしまった。

担当の助産師が立ち会えず、急遽代理の助産師のイヴ(モリ―・パーカー)に任せることになるがお産は困難を極め、出産後すぐに赤ん坊は息を引き取ってしまった。

助産師の過失を責める夫と母親が裁判を起こすが、マーサの心は晴れず家族との溝は深まっていく。

『私というパズル』感想、考察。ネタバレあり。

マーサと周囲とのズレ

まずは前半の出産シーンの緊張感が凄まじい…!自然分娩を望むあまり、助産師のアドバイスを断ったマーサにも非があるのは歴然で、これは誰が悪いとは言い切れない問題。いや、誰も悪くないし、誰も咎められるべきではないはずです。

そのことはマーサ自身は分かっていて、イヴを訴えることが何の解決にもならない、ましてマーサの心の傷が癒えることはもう今後一生無いかのようでした。

お産の日からマーサの心には大きな穴がぽっかりと開いて、何をしていても埋まらないその空洞に飲み込まれるような絶望に飲み込まれていきます。

マーサ自身はその穴をふさごうとも忘れようともせず、ただ悲しみを抱いて日々をどうにかやり過ごしているのに対して、夫や母親の行動があまりにも彼女とは違う方向を向いていました。

自分の苦しみから解放されたいという思いが強いせいで、母親は裁判をおこしたり、夫は性的欲求を満たして感情をごまかしたり。マーサに対して自分ができることをやっているつもりかもしれませんが、それは自分の傷を癒す行為にほかなりません。

そうでもしないと平静を保てないといえばそうでしょうが、心だけでなく体も傷ついているマーサへの気遣いが一番大事なのでは?と思わずにいられません。

生命力のモチーフとしてのりんご

※ラストシーンネタバレあり
この映画の良さは、最後のシーン(エンドロールも含めて)まで詰まっています。

ラストシーンは木に登ってりんごをかじる少女が映し出されます。そして、食事ができたと家から呼びに来るマーサ。マーサがその後に娘をもつことができた、とにおわせるシーンです。

出産前のシーンでかじっていたりんごと、最後のシーンで同じく用いられたりんごは生命力という意味合いで用いられていたのではないでしょうか。

冷蔵庫で種の発芽を確認するマーサの姿からは命の強さを信じる賢明さが溢れていて、彼女なりに前向きになる方法を見つけたのです。
そして、裁判でイヴのことを許す発言を母親の目をしっかりと見て主張するマーサ。

イヴを許すと同時に言い争っていた母に理解してもらうための心の叫びでした。きちんと言葉にして亡くした子への想いを語るこのシーンは涙が出ます…。

本作のように、だれかが悪いわけではない、どうにもやりきれない事情を抱えた人々の物語には惹きつけられます。善悪を示せないからこそ観るひとが様々なメッセージを受け取ることができるからです。良作でした!

※画像は映画.COMより引用

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