
犬が人間を襲うシーンにはホラー並みの恐さがあり、腕や足に咬みついたり(もちろん加減はしているようだけど)鼻にしわを寄せて、牙をむき出しにするその表情にはぞっとしてしまう。威嚇した表情のままハンバーガーを咥える場面も含めて、どうやって演技させたのか気になるところ…。
だが一番怖いのは、この映画が事実に基づいているという点だ。 犬の忠実な習性を自分のエゴのために利用した差別主義者の行為は到底理解できない。
この映画の結末が表すものも考えると、差別という呪いがもたらす悲劇についても考えさせられる、見応えのある作品だ。
もくじ
「ホワイトドッグ」あらすじ
新人女優のジュリーは白いシェパード犬を車で轢いてしまう。病院で治療した後、飼い主を探すが見つからない。
ジュリーの家に押し入った変質者を犬が撃退するなど、すっかり懐いた犬をジュリーは可愛がっていた。
しかし、犬は数日姿を消したかと思うと、血まみれの姿で帰ってきた。犬は、外で通りすがりの黒人を襲って殺したのだった。
また別の日、ジュリーの撮影現場で、犬が共演者の黒人女性に襲い掛かりケガをさせてしまう。
異常を感じたジュリーは、動物スターを調教している団体「ノアの方舟」のカラザズの元を訪れる。
そこで働いていた黒人の調教師キーズから、犬はただの攻撃犬ではなく黒人を襲うように教え込まれた「ホワイトドッグ」だと言われる。
キーズは「ホワイトドッグ」を調教することは不可能に近く、5週間試して無理なら殺すとジュリーに約束をして、訓練が始まった。
最後までホワイトドッグを見放さなかったのは?
最後まで犬のことを見放さなかったのは、黒人のキーズだった。キーズにとってホワイトドッグを治すことは差別に対抗する手段だといえる。差別される立場だからこそ現状を変えたいという決意が揺るがないのだ。
「確実な方法を開発したい。そうすれば誰でも毒されたものを根絶できる。頑固者の歪んだ行為もやめさせられる。」というセリフからもそれは分かる。
キーズと共に働く白人の調教師カラザズは、攻撃犬を治すのは無理だとジュリーに収容所を勧めた。
犬を大切にしていたジュリーですら、犬が逃げ出して黒人を殺したことを知ると、キーズに対して「なぜ殺さないの」と詰め寄ったのだ。
それに対して、キーズは「治る望みがある。連中の仲間入りか?彼らは差別について大騒ぎするが何もしない。あの犬は我々にとって唯一の武器だ。失敗してもやめない、次の犬に向かう。病んだ犬をこれ以上増やさないためだ」と語る。連中とは、リベラル派の白人たちのことを指していると考えられる。唯一の武器というのは、差別主義者に屈しない強固な意志のことだろう。
差別は教えられて育つ(ラストネタバレあり)
ラストシーンでは、ホワイトドッグから黒人への攻撃性がなくなったことを証明するために、防具なしのキーズが、リードも口輪もなしのホワイトドッグを呼び込む。
ホワイトドッグは牙をむいて走り出すも、キーズには襲い掛からなかった。その後、ジュリーに威嚇しながら近寄るが穏やかな表情に戻る。
しかし、カラザズを見つけたホワイトドッグは、彼に襲い掛かって殺してしまう。(カラザズは白人の調教師)そしてキーズがホワイトドッグを射殺する。
このシーンの直前、ジュリーの家にホワイトドッグの飼い主が現れるシーンがあった。ホワイトドッグに調教したことを「傑作だ」とジュリーに悪びれずに言った。
この男の風貌がカラザズに似ていた、ということもあるだろう。ホワイトドッグは、黒人への攻撃心が解けた代わりに、白人男性に向かって牙を向いたという結果になった。
差別によって生まれた暴力(犬)は結果として、その差別を生み出した者に跳ね返ってくるということを意味しているととれる。
猛犬を更生させることはできるのか?
トリマーを10年していると、まれではあるが攻撃的な犬に出会うことがあった。
怖がりな性格で新しい場所に適応できなくて、恐怖心で動けなくなる。近づくと、唸って咬みつこうとする。といった感じだ。
こういった場合は、少しずつできることを増やすという手に出る。はじめは触ることもままならなかった犬が、回を重ねるごとに触れる範囲が増えていく。明らかにその表情も優しくなっていくことがほとんどだった。
「怖いことがない。痛いことをされない」と理解すれば、ケロリとした顔をして作業させてくれることもある。
(それなりに時間はかかるけど)はじめはおやつに見向きもなかった子が、手からおやつを食べてくれる喜びはひとしおだ。(本当にカワイイ!)
経験から言うと、根っからの悪い犬はいないと思う。犬が攻撃的になるときは、その原因があるのだ。
この映画の場合は原因が差別主義者だった。演技とはいえ、最後の犬の目が「なぜ?」と言っていたようで忘れられない。